初めて英語を勉強し始めて31年!

31年前の今日、当時人生初の外国の地アメリカに足を踏み入れ、約6年間の生活がスタートしました! 当時は、父親の会社の費用で帯同者(母親、妹、僕)がANAビジネスクラス席に乗ることができました。飛行機に乗る前に父親の会社に帯同者3人で立ち寄って父親の上司(役員)にアメリカ赴任の挨拶をしたのを覚えてます。

父親は1ヶ月前に赴任して家探しをしてくれてたから、1991年10月16日は父親抜きで、母親がしっかり役員さんに挨拶してて、僕と妹はのほほんとジュースを飲んでました。当時4歳の妹は役員室のソファからコロンと落ちて、母親と僕が赤面の顔になり「申し訳ございませ~~ん」という一幕があったけど、無事に30分くらいの挨拶時間を乗り切りました。

ロサンゼルス国際空港に着いて、何もかもが新しくて、外国人がたくさんいて、英語なんか当然話せなくて、あれよあれよと入国審査をクリアして、「Welcome to Los Angeles」看板近くで迎えに来てくれた父親と無事に1ヶ月ぶりに再会したのも覚えてます。

アメリカ現地の会社の人たちにも挨拶しに行って、今でも交流のあるご婦人と当時初めて対面して、(ご婦人は日本人だから日本語が話せて当然なんだけど)日本語が話せるのがすごいと思ったり、父親が個室をもらって仕事してるのがわかったりで、改めて父親のすごさを当時8歳の僕は実感したわけですよ!

その後、約6年間住むことになる家に行って、16時間の時差ボケで眠くてリビングで大の字になって昼寝してた気がします。その日の夜に、近くの日本食弁当屋でカツ丼をテイクアウトして、スーパーへ買い出しに行ったのも覚えてます。英語の看板が当然読めなくて、日本のスーパーと違って商品棚の陳列方法や商品の配置が全然違うって印象を受けました。メキシコ産(?)のスイカフットボールサイズで大きくて妹とびっくりしてたね!

最初はとにかく物に触れる、人の話し方を真似る、ひたすら会話を聞く、日本人クラスメートに通訳してもらう、の繰り返しでした。「Shut up!!」と言っただけで父親が学校に呼び出されるという厳しい環境で教育を受けてきましたよ。先生が圧倒的に権力を握ってる感じで、日本みたいに先生にタメ口をきく生徒がいたらアメリカだとビシバシ怒られるって罰が待ち構えてましたね。英語を話せないと仲間外れにされるし、いつになったらESL的教育が終わるんだと担任から責められたりで最初の2年間は本当に怖かったです。

これがアメリカ生活のスタートでした。懐かしくて新幹線の窓から景色を見ながら31年前を思い出してたよ。