江戸時代、五代将軍・徳川綱吉の頃、江戸城の松の廊下で赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)が高家筆頭・吉良上野介義央(きら・こうずけのすけ・よしひさ)を脇差しで斬り付けて、浅野が切腹、吉良が無罪になった事件を発端に、吉良にいじめられてた浅野の敵討ちを赤穂藩の侍47人がやったことで有名な忠臣蔵(ちゅうしんぐら)ゆかりの泉岳寺(せんがくじ)に行ってきました。
1703年1月30日(旧暦12月14日)未明に赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入り、吉良上野介を倒し、吉良上野介の首を持って本所松坂町(吉良邸があった場所)から泉岳寺(浅野家の菩提寺)まで討ち入り成功パレードをし、浅野内匠頭の無念を晴らしたことを泉岳寺内の墓の前で大石内蔵助良雄(おおいし・くらのすけ・よしたか) + 赤穂浪士46人が報告したことで知られてますね。
浅野内匠頭と妻・瑤泉院(ようぜんいん)の墓、討ち入りを指揮した大石内蔵助を含む赤穂浪士47人の墓が見れます。堀部安兵衛など有名な赤穂浪士の名前が墓石に書いてあるのが見えました。